2009年7月 7日
古代出雲のこと
青銅器を主とする西部出雲(現在の島根県出雲市付近)と鉄器を主とする東部出雲(現在の島根県安来市、鳥取県米子市、大
山町)との二大勢力から出発し、以後統一王朝が作られ、日本海を中心とした宗教国家を形成したと考えられている。特に東
部出雲は律令下のいう伯耆国まで連続的な文化的つながりがあったため、特に弥生期では出雲と伯耆(鳥取県西部)を出雲文
化圏とする向きもある。考古学的見地からは、古墳が発達する以前の特徴的埋葬様式四隅突出墳丘墓の分布状況からすると、
北陸地方なども上古出雲とすべきとの説もある。これらの環日本海への版図拡大の逸話は国引き神話として『出雲国風土記』
に記されているとの見方も有力である。
この律令以前の出雲国の影響力は日本神話の各所に見られ、日本創生の神話の大半が出雲やその周辺の話になることから、そ
の精神的影響力は絶大であったとの見解が主流である。しかし、やがてはヤマト王権に下ることとなり、それが有名な国譲り
神話として『日本書紀』などに記されたと考えられる。国譲りの交換条件として建立された出雲大社は、いまだに全国から参
拝が絶えない。更には、出雲大社の祭祀を執り行う出雲国造家(北島氏、千家氏)は、天照大神の第二子天穂日命の裔孫とし
て、天皇家と同等の血統の長さを誇り、この「国造」と言う呼び名も古代律令に用いられていた官職名であることからその歴
史の長さを読み取ることが出来る。
その後律令制の下では出雲国造の領域を元に、7世紀に設置された。
国府は意宇郡にあり、松江市大草町に国府跡が発掘され公開されている(かつては現在の東出雲町阿太加夜神社周辺という説
もあった)。 平安期には東部出雲(意宇郡)を朝廷に没収された出雲国造家は今の出雲大社がある西部出雲に中心を確定する
。東部出雲は荘園守護の管轄下となり、月山富田城(現:安来市広瀬町)を中心とし製鉄を支配し雲伯地方を押さえた戦国大
名尼子氏を生み出すこととなる。
江戸期に入ると、松江藩が設置され東部出雲は松江、西部出雲は出雲国造の影響下に入ることとなる。更には、松江藩傘下の
東部では明治期に見られた廃仏毀釈の逆の影響が認められたりもする。つまり上古より同じ出雲でも、東西の主権が別々の歴
史的見解を残すため、出雲の歴史はわかりづらいものとなっているとの指摘がある。
伝統産業であった製鉄で財を成した出雲三名家(田部家、桜井家、絲原家)は、現在も島根県下の実力者である。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
こうみると出雲国の影響力はとても強かったようですね。
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