2010年3月 2日
古代日本の鹿狩り
日本語の「シカ」という言葉の語源は肉(食肉)を意味する「シ」(シシ)と毛皮を意味する「カ」が合わさったものと考え
られている。古代人がシカを衣食両方の重要な供給源として見なし、非常に近い距離で関わり合っていたことがうかがえる。
遺跡から出土するシカの遺存体を観察すると、頭蓋骨の後頭部が破壊されていたり、四肢骨が螺旋状に割られている状況から
肉や内臓だけでなく、脳や骨髄も食用にされていたとみられている。また、細長い骨である中手骨や中足骨、堅く弾力性のあ
る角などはヤスや銛、釣り針、弭、ヘアピン、垂飾品などの装飾品ほか、様々な道具の材料として利用されていた。シカの捕
獲方法は様々であったと思われるが、縄文時代の早い時期には、陥し穴状の遺構が見つかっている。また、肩甲骨に石鏃が突
き刺さったまま残っている遺物も出土しているので、弓矢を使用した狩猟が盛んに行われていたことが考えられる。他にヤス
や銛などを使ったり、ワナを仕掛けたことも考えられる。当時の人々がシカをどのように考えていたかということは研究上の
重要な問題である。縄文時代ではイノシシを模した土製品が少なからず出土しているが、反対にシカを模した土製品はこれま
でひとつも見つかっていない。このことから、縄文時代において重要な狩猟動物であったイノシシとシカのうち、イノシシは
当時の精神世界や観念上において一定の役割を果たしていたと考えられるが、シカは「単なる食料、もしくは道具の材料」と
いう極めて実用的な役割であったと考えられている。
アイヌも同様にシカ(エゾシカ)はイヨマンテなどの儀礼に使用されず、また、シカの神(カムイ)そのものも存在しないと
言われている。宗谷地方などエゾシカが稀な地域を除き、シカは単なる食料の対象であったと見られている(宗谷地方でのシ
カの扱いについては、更科源蔵の著作でも言及されている)。他方で伝承に措いては"ユカッテカムイ"即ちシカを支配する
神が居て、その神がシカの骨を地上にばら撒く、或いはシカの魂が入った袋の口を緩める事で数多くのシカが地上に齎される
、或いは捕らえたシカを粗末に扱う等のタブーを犯すとこの神の逆鱗に触れ、シカが地上に齎されなくなる、などの描写が多
く確認できる。
弥生時代以降は害獣駆除や農閑期の狩猟活動があったとはいえ、食料資源の中でシカの比重は相対的に低下したと考えられる
。その一方で、この頃から、シカを「霊獣」として扱う傾向が芽生えてきたとも見られている。縄文時代とは反対に、シカは
、銅鐸のモチーフとして登場するようになるが、一方でイノシシは銅鐸のモチーフとしては登場しない。1年ごとに生え替わ
る角が1年のなかで同じようなスケジュールで生育する稲と関わりがある、と考えられていたのであろう。日本の神話や伝承
では豊作を願い、水田にシカの死体や血を捧げるような儀式が描かれることがある。この点でシカとイノシシは同じ農作物や
田畑を荒らす(シカは稲籾そのものを食べてしまい、イノシシは稲をなぎ倒す)害獣ではあるが、シカの方が日本人の大部分
が「農耕民族化」していくなかで「霊獣」としての地位を獲得していった。
古墳時代においてもシカは形象埴輪のモチーフとなっている。
奈良時代からは仏教の影響で狩猟が抑制されたが、その後も鹿肉を食べる人は多かった。天武天皇は675年に肉食禁止令を出
したが、それは牛馬犬鶏猿の肉食を禁止したもので、シカやイノシシの肉食を禁じたものではなかった。春日大社、 鹿島神
宮、北口本宮冨士浅間神社のような古い神社で現代でも神鹿が飼われているのは日本人と鹿狩りの古い関わりの名残りである
。
なお、鹿肉を「もみじ」ともいうがこれは前述の通り「鹿」は秋の季語であり、「秋」と「鹿が棲息する場所」で「紅葉(も
みじ)」を連想させるため、そういわれるようになったといわれている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
縄文時代の人々の主な狩猟対象はなんと鹿と猪だったそうです。
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